​こんにちは、横浜市の胃腸科肛門科、ららぽーと横浜クリニックです。

皆さんは「大腸内視鏡検査(大腸カメラ)」を受けたことはありますか?大腸内視鏡検査大腸内視鏡検査というのはお尻から管状のカメラを挿入して大腸全体や小腸の一部までを観察していく検査のことですが、「昔よりは楽になったと聞いたことがある」なんて方もいらっしゃると思います。


では今と昔の内視鏡には、どれほどの差があるのでしょうか。今回は「大腸内視鏡の歴史」についてご紹介します。
 

大腸内視鏡の源泉

前述したように「大腸内視鏡検査」は大腸全体を見る検査ですが、大腸の一部ということで、広義では肛門付近から直腸までの検査も大腸検査と呼ぶことが可能です。

そうした意味では大腸内視鏡の歴史は、なんと紀元前3~4世紀のギリシャ文明まで遡ることができるのです。
医学の父とも称される「ヒポクラテス」(古代ギリシャの医師)による「ヒポクラテス全集」に痔疾患の記述に関連して内視鏡(現在の直腸鏡的なもの)を用いた検査の内容が記されています。この全集が完成したのは彼自身の死から大分時間が経過してからであったようですが、いずれにしてもこの辺りの時代から既にこのような概念があったことは驚きです。

ららぽーと横浜クリニックで使用する辻中式肛門鏡
 

また、火山の噴火によって一夜にして街ごと埋もれてしまったことで知られる、紀元1世紀ローマ帝国時代の「ポンペイ遺跡」(ナポリ近郊の古代都市)からは、金属製の肛門鏡が出土しています。
当然のことながら、現在のようにカメラがついた機器ではありませんが、実際に古代の遺跡から肛門鏡が発見されたということは本当に歴史の長さが感じられますね。痔という病気が古代から現代まで続く共通の悩みだったことが伺えます。

その後、現代のカメラを使って奥まで調べるという方法を用いるにはどうしても科学技術の進歩を待たなければなりませんでしたが、1835年に英国のロンドンにセイント・マークスという大腸と肛門の専門病院が開設されたことで、大腸疾患に対する理解、研究が深まっていきます。

東洋医学の世界では正確な始まりは不明ですが、17世紀から19世紀の清時代には「探肛筒」という名の直腸鏡がその他の歴代手術器具と共に紹介されています。
日本でも江戸時代の古文書には肛門鏡に関する記述が存在していますが、いずれにしても古代からの流れの中心は大腸ではなく痔などの肛門疾患を見るためのもの、その延長に過ぎませんでした。

 

大腸内視鏡発明前夜

1805年にドイツのボッツィーニが「導光器」と呼ばれる直腸や咽頭、尿道などを観察できる現代の内視鏡の起源とも言える器械を発明しました。
更に1853年、フランスのデソルモも導光器とは異なる形の「エンドスコープ」と呼ばれる器械によって膀胱などの観察に成功しています。エンドスコープとは日本語に訳すとそのまま「内視鏡」に相当します。

この頃になると目覚ましい科学技術の発展に伴って、世界各地で次々と体内を観察する機械が発明されていきますが、1868年に「硬性胃鏡」と呼ばれる、曲がらない棒状の内視鏡がドイツのクスマウルによって作られ、剣を飲み込む大道芸をしていた人を相手にして初めて生きた人間の胃が観察されました(つまり、まだまだ一般の人には到底試せない検査だったのです)。この時はランプで懸命に照らして中を覗いたそうです。
その後も改良が続き、1932年にドイツの医師シンドラーが「軟性胃鏡」を開発します。多少は曲がるようになった管の先に豆電球を付け内部を照らし、複数のレンズを用いました。

様々な機器が生まれる中で、日本でも1950年頃からオリンパス社によって研究と開発が進められていきます。まずは胃カメラが「安全で撮影精度が高いもの」といった理想の下で作られました。
1960年代に入りアメリカで開発された「グラスファイバー」と呼ばれる新たな素材に注目が集まり、これが内視鏡に用いられるようになります。


大腸内視鏡の誕生

屈曲していても光を届けられるのがグラスファイバーの最大の強みです。ここへ来てようやく撮影画像を待たずにリアルタイムで直接胃の中を観察できるようになりました。間もなく撮影機能も付けられ、その機能性は一気に加速していきます。
観察対象は広がりを見せ、とうとう現代へと通じる「大腸ファイバースコープ」が生まれました。

大腸ファイバースコープとは、大腸癌や大腸ポリープなどの大腸領域の病変を発見するための内視鏡のことです。
先端に取り付けた電気メスでポリープを切除することも可能で、現在内視鏡検査を行う時に使う機器には標準的な機能です。
国内外で試作品が作られ、1960年代後半に国産初の大腸ファイバースコープが販売されました。初期の物は、長さ67cm。日本人の大腸の長さを約150cm程度と考えた時、半分も見ることができない長さしかないということです。

1970年代に入ると「ビデオスコープ(電子内視鏡)」という、動画をモニターに表示して検査室内の全員と共有できるようものに進化しました。
ファイバー部の長さは180cmのものが登場。長さはもう十分で、大腸を見て、回盲部(大腸と小腸の境目)まで見ることが可能になりましたが、その当時の奥までの到達率は70%前後で、到達までの時間も当然のように毎回20~30分ほどかかっていました。「奥まで無事に行ければ拍手」という時代です。※現代では大腸を折り畳んで短縮する挿入技法が生まれたため、逆に130~140cm程度のカメラが主流です。

また、現在のスコープの太さは小指サイズの直径1cm程度ですが、当時の物は太さが直径16cmもあった上に、内視鏡挿入にテクニックがあることも知られておらず、医師の技術も未熟でしたから検査を受ける人にとって、それはもう非常に大変な経験でした……。
「大腸検査は辛いモノ!地獄!」などという近年までの根強い定説はこの頃から発生したものと言えます。

 

現在の大腸内視鏡検査

現在は更に内視鏡自体の機能や操作性が格段に向上し、挿入時のノウハウが蓄積されたことで医師の技術も上がり、盲腸まで高い到達率で見ることが可能になりました。
患者さんの負担も一昔前と今とでは比べものにならないほど減っています。

これに加えてハイビジョン内視鏡ユニットによる、特殊光を用いた内視鏡診断が可能になりました。これにより、粘膜の微少な血管や腫瘍の模様を強調してより詳しく観察することができます。

 

NBI(Narrow Band Imaging) ;狭帯光域観察

「毛細血管が集まっている領域を強調して表示させるために行う画像強調技術」により、ポリープ表面の血管が鮮明になり、そのポリープが腺腫なのか癌なのかがはっきり判断できます。

 

AFI(Auto Fluorescence Imaging);蛍光観察

「特殊な青い光を上皮下層に放射し、反射した自家蛍光を観察する技術」で、今までの内視鏡では発見や診断が難しかった早期の腫瘍性病変を発見しやすくなりました。

 

この他にもファイバー自体が柔軟な、患者への負担が軽減されるものとなっていたり、病変組織の観察を顕微鏡クラスの高い倍率で可能にした「拡大内視鏡」などの技術も生まれています。治療という側面ではポリープ切除術も順調に進化してきました。
このような技術の革新的な進歩により検査を受ける患者さんが、より楽に検査を受けられるようになったのです。

 

終わりに「未来の大腸検査……!?」

内視鏡機器の進歩は人類の科学技術の進歩と密接な関係性にあります。今回の内容で大腸内視鏡がどのような道のりを歩んできたのか、現代の内視鏡が昔と比べてどれほど楽になったか、その一端がお分かりいただけたと思います。

内視鏡による検査というのは大腸の中を観察するための飽くまで一手段に過ぎませんし、実際に近年開発された検査法としては3DCTを用いてカメラを体内に挿入せずに行う「仮想大腸内視鏡検査」と呼ばれる方法もあります。
しかしながら、直接的に病変の観察や組織の採取、ポリープ切除などの治療まで行えてしまう内視鏡は現在まで、殊に胃大腸領域に関しては「最も信頼性が高く効率的な方法である」と言えます。

近年では「AI技術」の成熟に伴って、その人間を超えた能力で内視鏡検査や診断をアシストする内視鏡AI研究も日夜進められていますので、まだまだ目が離せない、将来性のある事業になっています。

今回は詳しく語れませんでしたが、大腸内視鏡検査の挿入技法に関しても、日本はユニークで革新的な発展を遂げ、世界の内視鏡界を圧倒してきました。
ららぽーと横浜クリニックでも大腸内視鏡検査を行っておりますが、当院の大腸内視鏡挿入技術(完全無送気軸保持直線的挿入法)はその中でも特に患者さんに優しい部類であり、極めて画期的で独創的な手法での検査です。興味を持たれた方は、ぜひ当院での内視鏡検査をご予約ください。

また、これからの内視鏡検査を考えていく上での重要なファクターとなるであろう、AIを用いた内視鏡検査に関しても当ブログの別記事にて扱っていく予定ですので、そちらにもご期待ください。当院にしか書けない気合いの入った記事になっています。